2015年3月30日月曜日

写真と祈り

神社に行くと、色んな人が祈っているのを見かけます。

ただなんとなく観光で来て祈ることもあれば、

叶えたい願いがあるから神社に行く、という人もいます。

ただ、そのどちらとも祈ることで願い事が絶対叶う、

と考える人は少ないと思います。



人は人に時々相談ごとをしますが、人に話すと評価をされたり、

アドバイスをされたり、時には求めていない答えに傷つくこともあります。

でも、祈りは誰にも言えないことや、

人にお願いできないことをそっと祈ることができます。



祈るという行為は、こうなってほしいという気持ちを打ち明けること、

神社はただそれを静かに受け止めてくれる場所です。

それで気持ちが楽になったり、前向きになれる、

そういうことを求めて祈るのではないかと思います。



言葉は、便利で的確に表現できるツールですがその分人を傷つけることもあります。

だから、静かに祈ることは、ただ自分の想い、願いを誰かに受け止めてもらえたような、

そういう感覚に近いと思います。



そして私はそういうところが、写真と祈りが少し似ていると感じています。

上手くいかなかったり、悩んでいる時、どんなに人が言葉で励ましたり、

的確なアドバイスをくれたとしても、なかなか気持ちが楽にならないことがあります。



でもそんな時、自分自身や大切な人のいい表情の写真は、

ただただ、いい表情で、自分を受け入れてくれます。

そこには評価も、押しつけも、傷つくような言葉もありません。

代わりに自分自身を受け止めてくれたような、あるいは、

まるでそれが自分に語り掛けてくれているような、

そんな気持ちになることもあります。




以前、無くなったご主人の写真を、ローレフォトにされた方がいて、

「毎日ここ(玄関)で、行ってきます。ただいま。と語り掛けています。

しんどい時に語り掛けると、まるで慰めてくれているような気がしてくるんです。」

そうおっしゃってくださっていました。



今はもうここにいない大切な人であったとしても、

写真はそこにちゃんと存在して、自分を見守り、励まし続けてくれます。


だから、写真を見ることは祈りに近い気がします。

祈りや写真によって得られるものは、

自分のありのままの気持ちを、受け止めてもらえる心地よさなんだと思います。






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