神社に行くと、色んな人が祈っているのを見かけます。
ただなんとなく観光で来て祈ることもあれば、
叶えたい願いがあるから神社に行く、という人もいます。
ただ、そのどちらとも祈ることで願い事が絶対叶う、
と考える人は少ないと思います。
人は人に時々相談ごとをしますが、人に話すと評価をされたり、
アドバイスをされたり、時には求めていない答えに傷つくこともあります。
でも、祈りは誰にも言えないことや、
人にお願いできないことをそっと祈ることができます。
祈るという行為は、こうなってほしいという気持ちを打ち明けること、
神社はただそれを静かに受け止めてくれる場所です。
それで気持ちが楽になったり、前向きになれる、
そういうことを求めて祈るのではないかと思います。
言葉は、便利で的確に表現できるツールですがその分人を傷つけることもあります。
だから、静かに祈ることは、ただ自分の想い、願いを誰かに受け止めてもらえたような、
そういう感覚に近いと思います。
そして私はそういうところが、写真と祈りが少し似ていると感じています。
上手くいかなかったり、悩んでいる時、どんなに人が言葉で励ましたり、
的確なアドバイスをくれたとしても、なかなか気持ちが楽にならないことがあります。
でもそんな時、自分自身や大切な人のいい表情の写真は、
ただただ、いい表情で、自分を受け入れてくれます。
そこには評価も、押しつけも、傷つくような言葉もありません。
代わりに自分自身を受け止めてくれたような、あるいは、
まるでそれが自分に語り掛けてくれているような、
そんな気持ちになることもあります。
以前、無くなったご主人の写真を、ローレフォトにされた方がいて、
「毎日ここ(玄関)で、行ってきます。ただいま。と語り掛けています。
しんどい時に語り掛けると、まるで慰めてくれているような気がしてくるんです。」
そうおっしゃってくださっていました。
今はもうここにいない大切な人であったとしても、
写真はそこにちゃんと存在して、自分を見守り、励まし続けてくれます。
だから、写真を見ることは祈りに近い気がします。
祈りや写真によって得られるものは、
自分のありのままの気持ちを、受け止めてもらえる心地よさなんだと思います。
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