24才くらいのころ、世の中には、どうにかしたくてもどうしようもならないことが、
あるんだなーって、気づきました。
その頃の私はまだ夫と出会う前で、
そのことのために、ひとりでずっと泣いたり、ひとりでそのために何か、
当時の自分ではそれが有効だと思う、ダサくて意味のないことをしていました。
そして少し効果があったような気がして、
ときどき救ったつもりになっていたりもしました。
何にもできないのに、頭のなかはそのことでいっぱいで、
でも、心配していたり、悲しんでいることは、絶対に悟られないようにしていました。
あのころの自分は、いっぱいいっぱいで、
とてもでないけど、身近な人にほど、その本当の悲しみや不安については、話せませんでした。
一番大切な人たちを、悲しませたくなかったからです。
でも同時にそのことが、私の生きる原動力でした。
どんなことになっても、私がなんとかする。
なんとかする力がないにも関わらず、それだけは信じていました。
今考えると、当時の自分にかけてあげたい言葉がいっぱいあったなーと思います。
それは身近な人でなくて、遠い人の方がいいと思うのです。
本当の悲しみみたいなものは、知っている人にほど見せにくいからです。
今でも、ずっとそのことが私のどこかに生きています。
だから、どうしようもないこと(と本人が感じている)を目の前に、
なんとか奮闘する人を見ると、応援したくなります。
できたら写真がその人の次の一歩へ進むための、
きっかけになればいいな、と思っています。
その人の魅力をもっと知って、表現するために、
撮影の時に伝えることがあります。
あなたは私の前で、どんなあなたでもいい、
だって私はそもそもまだあなたのことをほとんど知らないし、
私はあなたがどんなあなたであっても、
あなたにどんなことが起きていても、驚かないし、評価もしません。
抱えている本当の気持ちを話すことで、
自分でも知らない自分について、見つかることがあるんです。
そして写真でその自分を眺めることもできるんです。
それによって自分に対する見方が、少し変わることもあります。
話したくないことは話さなくてもいいし、
もし話したいと思うなら、ここは、何をどう話しても、本当の気持ちを言ってもいい場所です。
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